Lesson
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バー・ブルーサンタ Lesson

+++ Bar Blue Santa Lesson +++

『生命の水』と呼ばれた琥珀色の飲み物・・・
なぜこうも美しく魅力的なのだろう?
すべてを知り尽くすことができないとわかっていても、追い求めてしまうのである。

カクテル(Cocktail)とは…

カクテルは、通常「数種の酒、果汁、薬味などを混ぜ合わせた飲料」のことと考えられている。

 

単一の酒類や果汁、清涼飲料水などをそのまま飲むストレート・ドリンクに対して、いくつかの材料を混ぜ合わせた飲料をミックス・ドリンクと呼ぶが、カクテルはこのミックス・ドリンク全般を表す言葉として使われている(広義のカクテル)。
アルコールの有無に関わりなく、2つ以上の材料を混ぜ合わせて作る飲み物が広い意味でのカクテルなのだ。

また、カクテルは主として「カクテル・グラスに入れて、短時間で飲むミックス・ドリンクの一種」いわゆるショート・ドリンクといった、より狭く限定した意味の言葉としても使われている。

使用材料や作り方などで、ミックス・ドリンクは フィズ(Fizz)、コリンズ(Collins)、サワー(sour)など、いくつかの共通したスタイルを持つ物に分類できる。

カクテルはこのスタイルの1つを表す言葉でもある(狭義のカクテル)。

 

カクテルの歴史

Cocktailを日本語に訳すと『おんどりの尾』だが、なぜミックス・ドリンクがこのような名前で呼ばれるようになったのかについては、諸説があり定かではない。

材料を混ぜるのに使った木の根が鶏の尾の形で、誤って飲み物の名前として伝えられた、あるいは鶏の羽根を使って材料をミックスした、という様に、鶏または鶏の羽根が関わっているとする説が当然ながら多い。

アメリカ独立戦争の戦勝祝いに作ったミックス・ドリンクに反独立派の家で飼っていたおんどりの尾を飾って喝采を浴びたというアメリカの建国の歴史に結び付けた話もある。また、あるミックス・ドリンクを作った男(またはその娘)の名からとったなど、人名に由来するとする説も数多く残されている。いずれも伝説の域をでないが、カクテルに興を添える物語りとして楽しまれている。

 

酒になんらかの材料を混ぜて飲むことは、かなり古い時代から行われていた。紀元前のエジプトでは、ビールに蜂蜜やナツメヤシのジュースを加えて飲んでいたと伝えられている。また、ギリシャやローマではワインを海水、泉の水などで割って飲んでいた。7世紀半ばの唐には、ワインに馬乳を混ぜた乳酸飲料があったことが知られているし、中世のヨーロッパの人々は、冬になるとワインにスパイスを加え、温めて飲んでいた。 このホット・ワインの伝統は、フランスのヴァン・ショー(Vin chaud)、北欧のグレッグ(Glogg)などの形で現在も生きている。

17世紀半ばになるとインドで考案されたといわれるパンチ(Punch)が東インド株式会社の社員などを通じてイギリスにもたらされ、家庭でも飲まれるようになっていった。パンチ(近代インド語で『5』を意味するPanchが英語に転訛したものと言われる)は、インドの蒸留酒アラックに砂糖、ライム、スパイス、水をミックスした飲み物だった。

1855年に出版されたサッカレーの小説『ニューカムズ』には、ブランデー・カクテルが話題になる描写があり、この時代のイギリス社交界でカクテルと呼ばれる飲料が飲まれていたことがわかる。ちなみにカクテルという名称が使われたもっとも古い事例は、1748年にイギリスで出された『ザ・スクァイア・レシピーズ(The Squire Recipes)』という小冊子だとされている。

 

現在のような氷で冷やすカクテルが本格的に作られた始めたのは、1870年代ドイツのカール・フォン・リンデ(Karl von Linde)によって製氷機が発明され、四季を通じて氷が手に入るようになってからのこと。こうした現代的なカクテルは、20世紀初頭。多民族国家であり、まだ固定した飲酒文化の伝統を持たないアメリカで誕生し、大きく成長していった。既成の形式に囚われない自由なアメリカ生まれの飲料であるカクテルはやがてヨーロッパの主要都市に数多くのアメリカン・バーを登場させた。
大型客船による世界旅行ブームを背景にアメリカ仕込みの腕を振るバーテンダーが活躍したアメリカン・バーは盛況を極めた。サヴァイ・カクテルブック(1930年 初版刊)の著者として知られるハリー・クラドック(Harry CradocK)は、そうしたバーテンダーの先駆者のひとりだった。
また、1920年から足かけ14年間続いたアメリカの禁酒法時代に多くのバーテンダーがヨーロッパに渡ったこともカクテルの世界的な普及を一層進めたといえよう。

 

わが国にカクテルが伝えられたのは比較的早く、明治初期の鹿鳴館時代には、上流階級の人々に飲まれていたといわれる。そして、大正時代に入って登場してきたバーによって、カクテルは広く知られるようになっていくが、本格的に普及したのは第二次世界大戦後、全国の都市にスタンド・バーが『雨後のタケノコ』のように増えてからだといっていい。手頃な価格と親しみやすい雰囲気のスタンド・バーは戦後の開放された社会風潮もあって若い世代を中心に爆発的な人気となり、カクテル・ブームを呼んだ。この時期、女性の飲酒が広がっていったのも、ブームに拍車をかけた。
その後、ボトルキープ制によるウイスキーの水割り全盛時代にカクテルへの関心が衰微する時期があったものの現在では多様化する嗜好にこたえ、豊かな飲料文化を象徴する飲み物として、カクテルは確固たる地位を築きつつある。

 

★☆★2005年の人気カクテルランキング★☆★

N.B.A(日本バーテンダー協会)が2005年6月から10月末までの期間に調査集計した
2005年のカクテル・ランキングが発表されましたので紹介します。

    【N.B.Aカクテルランキング】

    1位 ジン・トニック
    2位 モスコー・ミュール
    3位 マティーニ
    4位 ソルティー・ドッグ
    5位 ギムレット
    6位 ジン・リッキー
    7位 スプモーニ
    8位 サイドカー
    9位 ダイキリ
    10位 マルガリータ


    【女性が選ぶカクテルランキング】

    1位 ソルティー・ドッグ
    2位 スプモーニ
    3位 ジン・トニック
    4位 チャイナブルー
    5位 モスコー・ミュール
    6位 ファジーネーブル
    7位 カルーア・ミルク
    8位 カシス・オレンジ
    9位 カシス・ソーダ
    10位 カンパリ・オレンジ


    【当店人気カクテルランキング】

    1位 ソルティドッグ
    2位 ジン・トニック
    3位 グリーンティ・クーラー
    4位 モスコー・ミュール
    5位 マティーニ
    となっています。

当店のランキングでは、ショートカクテルの比率が低いのですが、 5位と同じくらいの比率で何種類かがランキングされていると思います。

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ウイスキー(Whisky)とは…

ウイスキーは、大麦、ライ麦、トウモロコシなどの穀類を原料として、糖化発酵させ、さらに蒸留して、樽の中で熟成させた酒。
ウイスキーのあの琥珀色は、樽熟成の歳月の流れの中で育まれたものなのである。だが、ウイスキーは誕生の時から樽熟成をしていたわけではない。永い間蒸留したての色の付いていない状態で飲まれていた。樽熟成により琥珀色になったものを飲むようになったのは、19世紀に入ってから一般化された習慣である。

蒸留には、単式蒸留機(ポットスチル Pot Still)と連続式蒸留機(パテント Patent Still)が使用されているが、蒸留法の違いによってウイスキーの香味はかなり異なってくる。また、長期の樽(オーク材)熟成により、ウイスキー特有の琥珀色を帯び、熟成時の環境(気候、樽材等)の影響を受けて、さまざまな個性を持ったウイスキーが生まれている。

ウイスキーの歴史

Cocktailを日本語に直すと『おんどりの尾』となるが、なぜミックス・ドリンクがこのような名前で呼ばれるようになったのかについては、諸説があって定かではない。

ウイスキーの歴史は、『生命の水』に始まっている。

ウイスキーの語源とされるゲール語のUisge−beatha(ウシュク・バーハー生命の水)は、ラテン語のAquavitae(アクアヴィタエ 生命の水)からきており、ブランデーなど他のスピリッツ同様、錬金術と深い関わりを持っている。中世の錬金術師たちは、醸造酒を蒸留する技術を発見した時、その燃えるような味わいに驚いて、それをアクア・ビテ(aqua vitae 生命の水)と呼んだ。

この蒸留技術を穀物から造った醸造酒、つまりビールに応用したのがウイスキーの始まりである。

語源の変化については、ウシュク・バーハー「Uisge−beatha」が「Usque-baugh」(アスキボーまたはウスケボー)に変化。さらに簡略に「Usky」(ウスキー)と呼ばれるようになり、「Whisky」(イギリスやカナダの表記)、「Whis-key」(アイルランドやアメリカでの表記)と転化したと言われている。

 

ウイスキーがいつ頃から造られ始めたのかは、明らかではないが1172年イングランドのヘンリー2世の軍隊がアイルランドに進攻した時、現地で Usq-uebaugh と呼ばれる穀物を蒸留した酒を飲んでいるのを見た、と史書に記録が残っている。また、1494年のスコットランド大蔵省の記録には、「修道士ジョン・コーに発芽大麦8ボルを与え、生命の水(Aquavitae)をつくらしむ」と記載されており、すでにスコッチ・ウイスキーの生産者団体であるスコッチ・ウイスキー協会(本部・エジンバラ)は、この1941年を「ウイスキー誕生の年」としており、1994年には盛大な「スコッチ・ウイスキー誕生記念500年記念式典」を開催した。

15世紀のスコットランドのウイスキーは、まだ蒸留しただけの無色透明、荒い風味のスピリッツであり、現在のような琥珀色に熟成した香味豊かな酒ではなかった。ウイスキーの樽による貯蔵・熟成がいつ頃、そのようなきっかけで始まったのか…については、次のような密造にまつわる説が広く信じられてきた。

1707年のイングランドによるスコットランド併合で大ブリテン王国が成立して以後、麦芽税の課税、500ガロン以下の小型蒸留機の禁止などスコットランドのウイスキー蒸留業者に不利な施策が相次いで打ち出された。この時スコットランドのローランド地方に本拠を置いた規模の大きい蒸留業者は、大麦麦芽以外の穀物を原料に取り入れ、麦芽の使用を減らすことで対抗したがハイランドの零細な蒸留業者は、山や谷深く隠れ密造を始めた。彼らは作業のしやすさから大麦麦芽を使い続け、麦芽の乾燥には従来の天日乾燥では なく、人目に付かない屋内でハイランド山中に無尽蔵にあるピート(草炭)を燃やして乾燥した。そして、蒸留したウイスキーをシェリーの空樽に詰めて隠し、徴税史の目から逃れようとした。この結果、ハイランドのウイスキーは、ピートのスモーキー・フレーバーを持つ琥珀色の口当たりの柔らかなスピリッツになった。人々は、偶然にも樽貯蔵によるウイスキーの熟成効果を知ったのだ。

この説には、熟成効果が得られるほど長期間、危険を冒してウイスキーを隠匿する不自然さや当時マデイラ・ワインやシェリーの樽熟成が知られていたはずで、スコットランドのウイスキー蒸留業者も意図的に樽貯蔵によるウイスキーの質的向上を図っていたのではないか、などの否定的な指摘も多い。ハイランドの有力者の娘であるエリザベス・グランドが書いた日記には「1822年、ジョージ・スミスが樽で熟成させていたミルクのようにマイルドなウイスキーをスコットランドを訪れたジョージ4世の求めに応じて献上した」とあり、いずれにしても遅くとも19世紀初めには、ウイスキーの樽による熟成が行われており、一部の上流階級に珍重されていたと考えられよう。

エリザベスの日記に登場するジョージ・スミス(George Smith)は、1823年密造根絶のため小規模蒸留を認めたウイスキー法の施行で、免許取得第1号となった『ザ・グレンリベット蒸留所』の創始者として知られる。この年以降ハイランドの山中に隠れていたウイスキー蒸留業者(彼らは、イングランド政府に抵抗した誇り高き密造者の意味でスマグラー(Smuggler)と呼ばれた)が相次いで表舞台に登場する。

 

一方、ローランドの大規模蒸留所では蒸留の効率化を進めていたが、1826年蒸留業者ロバート・スタイン(Robert Stein)が連続式蒸留機を発明した。1831年には、アイルランド、ダブリンで徴税史をしていたイーニアス・コフィ(Aeneas Coffey)が、より効率のいい連続式蒸留機を発明、特許を取った。この連続式蒸留機は、コフィ・スチル(Coffey Still)または特許(パテント)を取ってたのでパテント・スチル(Patent Still)と呼ばれているが、これによってトウモロコシや小麦などの大麦麦芽以外の穀物を原料としたグレーン・ウイスキーが量産されるようになった。

1853年、エジンバラの酒商だったアンドリュー・アッシャー(Andrew Usher)がモルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキーをブレンドしたブレンデッド・ウイスキーを発売、モルトの豊かな香味とグレーンの飲みやすさを併せ持ったこの新タイプのウイスキーは、人々に広く受け入れられた。ブレンデッド・ウイスキーが支持を広げていくに従いスコットランドのウイスキー生産の主導権は、大規模なグレーン・ウイスキー蒸留業者に移っていった。1877年、ローランドの大手蒸留業6社により、D.C.Lが結成され、生産、販売両面で大きなシェアを占めるようになった。

1880年代に入ってフランスのぶどう園では、フィロキセラ虫害がはびこり、フランスワインの高騰、ブランデーの大幅な減産を招いた。これは、ブレンデッド・スコッチ・ウイスキーに有利に働いた。これまで、コニャックなどフランスから輸入したブランデーを愛飲していたイギリスの上流階級が、コニャックに代わるブラウン・スピリッツをしてスコッチ・ウイスキーを飲み始めたのだ。それに伴いジンを愛飲していたロンドン市民の間にもウイスキーが浸透していった。以後、D.C.L.などの大手生産者は、アメリカをはじめイギリスと関わりのある国々にウイスキーの輸出を始め、スコッチ・ウイスキーは、今日の世界の酒の地位を築いていく。

ウイスキーの種類について 

今から約千年前にアイルランドで初めて造られたと言われている大麦やトウモロコシ等の穀物を発酵、蒸留し、さらに樽の中で熟成させる。特有の色と香りが特徴で、良質な水と職人の伝統的な技が必要とされる。

中でも世界5大ウイスキーと言われるのが、下記である。

  • アイリッシュウイスキー
  • アメリカンウイスキー
  • ジャパニーズウイスキー
  • スコッチウイスキー
  • カナディアンウイスキー

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ブランデー(Brandy)とは… 

ブランデーは、フルーツを発酵させ、蒸留した酒のすべてを指す言葉として使用されているが、単に「ブランデー」という時は、ブドウ原料のワインを蒸留したグレープ・ブランデーを指している。ブドウ以外のフルーツを原料にした場合は、フルーツ・ブランデーと総称され、アップル・ジャック(Apple jack りんご原料)、キルシュワッサー(Kirschwasser さくらんぼ原料)などブランデー以外の名称で呼ばれることが多い。

ブランデーの語源は、オランダ語の焼いたワイン(英語ではBurnt Wine)を意味するブランデウェイン(Brandewijn)がイギリスで転訛して、ブランデーとなった、と言われている。また、Brandewijnは、コニャック地方の人が「ワインを蒸留した酒」の意味で使っていたヴァン・ブリュレ(Vin brule 熟したワイン)をオランダ語に直訳したもの、とされている。

ブランデーの歴史

ブランデーがいつ、どのようにしてつくられるようになったか、については不明だが、中世の錬金術師によって、ワインを蒸留する技術がもたらされたと考えていいだろう。フランスのブランデーに関する最古の記録は、アルマニャック地方のオー・ガロンヌ県のもので、1411年には、この地方で「命の水(フランス語でオー・ド・ヴィー Eau de vie)」がつくられていたと記録されている。16世紀になると、ボルドー、パリ、アルザスなどで蒸留の記録が残っており、17世紀には、コニャック地方で企業化されたブランデーづくりが始まっている。

コニャック地方のブランデーの起こりは、1562年から1598年のかけての宗教戦争が契機となった。古くからワインの産地として知られていたコニャック地方は、宗教戦争の主戦場となったためにブドウ畑が荒廃し、戦争が終結しても戦前のような声価は得られなかった。そこで、当時、大西洋貿易の実権を握り、コニャック地方のワインも扱っていたオランダの貿易商がワインを蒸留してオー・ド・ヴィーとすることを勧め、北欧やイギリスで販売したが、この新しい蒸留酒は特にイギリスで歓迎された。

ブランデーの種類について

● グレープ・ブランデー(Grape Brandy)

ワインを蒸留してつくる。したがって、ワインの主要生産国は、フランスを筆頭に、スペイン、イタリア、ギリシャ、ドイツ、ポルトガル、アメリカ、南アフリカ、ロシア、ブルガリアなど、多少にかかわらず、ブランデーを生産している。中でもフランスのコニャック地方と、アルマニャック地方のブランデーは世界的に知られており、コニャック、アルマニャックという名称は1909年のフランス国内法(a.c.法、原産地呼称統制法)で、厳し規制されている。

  1. コニャック
  2. アルマニャック
  3. その他のフランス産グレープ・ブランデー
  4. ドイツのグレープ・ブランデー
  5. イタリアのグレープ・ブランデー
  6. 日本のグレープ・ブランデー

 

● フルーツ・ブランデー(Fruit Brandy)

フルーツ・ブランデーの主要な産出国は、フランスとドイツ。原料を破砕、発酵させ、蒸留してつくる製法と、原料をアルコール浸漬してから蒸留する製法がある。フランスでは、どちらもオー・ド・ヴィーと総称するが、ドイツにおいては前者の製法でつくられたフルーツ・ブランデーを 〜ワッサー(〜wasser)、後者を 〜ガイスト(〜geist)と呼んで区別している。樽で熟成させるものもあるが、フルーツ・ブランデーの多くは、蒸留した後、タンクで味を慣らして製品化しており、無色透明なものがほとんど。

  1. リンゴ
  2. サクランボ
  3. スモモ
  4. イチゴ
  5. ウイリアム種洋梨
  6. 木イチゴ

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ジン(Gin)とは… 

ジンは、穀物を主原料とする蒸留酒で、無色透明、爽やかな香味をもった辛口の酒である。

ただ、広い意味でのジンの中には、無色透明ながら、甘味を添えて飲みやすくしたものや、フルーツの香味と色を添えて、リキュール・タイプにつくったものもある。そういうジンに対して、上記の無色、辛口のジンのことを”ドライ・ジン”と称しているが、このドライ・ジンこそジンの主流であり、ふつう、ただ単にジンという時は、このドライ・ジンのことを意味している。

ジンの起源は、医師のつくった薬用酒である。

ジンの歴史 

ジンは、1660年オランダのライデン大学医学部教授フランシスクス・シルビウス(Franciscus Sylvius この名前は当時の学者が用いていたラテン語の通称で、本名 フランツ・ド・ル・ボエ Franz de le Boe)によっ開発された。

シルビウスは、熱病の特効薬をつくろうとして、利尿作用のあるジュニパー・ペリー(杜松の実)をアルコールに浸漬して蒸留し、薬用蒸留酒をつくった。そして、ジュニパー・ベリーを意味するフランス語ジュニエーヴル(Genievre)と名付けて、その酒の薬局での市販を許された。

当時の蒸留酒は、ごく簡単な構造のポット・スチルでつくられ、雑味の多いものであったから、このジュニパー・ベリーの爽やかな香りをもった酒は人々に喜ばれ、オランダ国民の間に普通の酒としての飲用が広まり、名称もオランダ語で、ジュネバ(Geneva)と呼んで愛飲されるに至った。

ジュネバは、オランダ商人の手で世界各地に広がっていったが、特にイギリスで英語風にジン(Gin)と呼ばれて大流行した。1689年にオランダから英国王に迎えられたウイリアム3世(オレンジ公ウイリアム)の影響もあって、爆発的な人気を得た。18世紀前半のイギリスでは、「ジンの時代」と呼ばれるほど庶民層にジンが飲まれ、未成年者や女性も巻き込んださまざまな悲劇が生まれている。

イギリスでは、当初、飲みやすくするため砂糖で甘味付けされたオールド・トム・ジン(Old Tom Gin)が好まれていたが、19世紀後半になると、連続式蒸留機の発達とともにイギリスのジンもそれを利用して新しいタイプの酒として生まれ変わった。これ以降、イギリスのジンは、ブリティッシュ・ジン、あるいは主産地の名前を付けてロンドン・ジンと呼ばれ、相変わらずポット・スチルでつくられるジュネバとはタイプを異にした独自のジンとしての道を歩き始め、今日に至っている。

現在ジンは、世界各地でつくられているが、その大半はロンドン・ジン・タイプのドライ・ジンである。

ジンの種類について

ジンは、大別するとオランダ・タイプ(ジュネバ)とイギリス・タイプがある。
イギリス・タイプの代表的なものはドライ・ジンで、その他に1〜2%の甘味を付けたオールド・トム・ジンや、香りの強いプリマス・ジン、フルーツの香りを付けたフレーバー・ジンなどがある。またドイツには、シュタイン・ヘーガーと呼ばれるジンがある。

  1. ドライ・ジン (Dry Gin)
  2. ジュネバ (Geneva)
  3. プリマス・ジン (Plymouth Gin)
  4. オールド・トム・ジン (Old Tom Gin)
  5. シュタイン・ヘーガー (Steinhager)
  6. フレーバード・ジン (Flavored Gin)

 

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ウォッカ(Vodka)とは…

ウォッカは、穀物を主原料にし、高濃度に蒸留したスピリッツで、最後に活性炭で濾過して、クセのない味わいに仕上げた酒である。よく、無色の酒と表現されるが、無色はそのとうりとして、飲めばやはり味わいはある。その味はもっぱらウォッカの主成分であるエチル・アルコールに由来している。

ウォッカには、エチルアルコール以外の成分は、水を除けばほとんどないに等しい。したがって、ウォッカという酒は、エチル・アルコールそのもののおいしさを味わう酒だといってよい。

ウォッカの歴史

ウォッカの古い呼び名は、ズィズネーニャ・ワダといい、「生命の水」という意味を持っていた。16世紀ロシアのイワン雷帝の時代にこのワダ(Voda 水)からVodka、ウォッカと呼ばれるようになった…とされる。

ウォッカの歴史は、12世紀になって最初の記録が見られるといわれるが、詳しいことはわかっていない。11世紀のポーランドで生まれたという説もある。原料は、ライ麦のビールや蜂蜜酒を蒸留したのではないかと考えられており、連続式蒸留機が出現する以前は簡素な単式蒸留器で蒸留していたから、雑味も多く、香草によって香りが付けられることも多かったようだ。

17〜18世紀頃のウォッカは、主としてライ麦を原料に使っていたようだが、18世紀後半からトウモロコシ、ジャガイモなども使われるようになった。1810年ペテルスブルグのアンドレイ・アルバーノフという薬剤師が白樺の炭の活性作用を発見、これをウォッカの濾過に利用する技術を開発したのは、ピョートル・スミルノフだと伝えられている。独自の濾過技術の確立と19世紀半ばに蒸留精度の高い連続式蒸留機が登場したことにより、酒類の中でひときわピュアな風味のウォッカの個性が固まった。

ウォッカがロシア以外の国でも製造、飲酒されるようになったのは、1917年のロシア革命以後のこと。ロシアから亡命した白系ロシア人は、亡命先の国々でウォッカを製造するようになった。1933年、禁酒法が廃止されるとアメリカにおいてもウォッカ製造が盛んになった。1939年頃からカリフォルニア州を中心にウォッカをフルーツ・ジュースで割ったロング・ドリンクが飲まれ始めた。

さらに1950年代に入ると、ウォッカの中性的な性格がカクテル・ベースとして評価され、爆発的なブームとなった。

ウォッカの製造法は、ライ麦、大麦、小麦、トウモロコシなどの穀類やジャガイモなどを麦芽で糖化、発酵させ、連続式蒸留機で蒸留、アルコール分85%以上の純度の高い蒸留酒をつくり、それを白樺の活性炭などの炭素の層をゆっくりと通過させる。これによって、無色透明、酒類の中でもっとも雑味のない酒が生まれてくる。原料はもちろん、蒸留装置の構造、濾過時の炭素の層の性質と厚さ、そして、炭層の通過速度などの差が品質に現れている。

現在、ウォッカの主要産地は、ロシア、バルト海沿岸諸国、ポーランド、フィンランド、アメリカ、カナダなどで、それぞれの国の伝統に基づくさまざまな原料が使われている。甲類しょうちゅう(ウォッカとの違いは、白樺の活性炭で濾過しないこと)を持つ日本でも独自のウォッカを生産している。

ウォッカの種類について

レギュラータイプのウォッカ(アルコール度数によっていくつかの分けられる)と、さまざまな香りを付けたフレーバード・ウォッカ(Flavore d Vodka)に大別できる。フレーバード・ウォッカは、主としてロシア及びバルト海沿岸諸国でつくられている。

● フレーバード・ウォッカ

  1. ズブロッカ (Zubrowka) … 茅の一種の牧草であるズブロッカ草(英語ではバッファロー・グラスという)の香りを付けたウォッカ。
  2. サペケンカ (Zapekenka) … ウクライナ地方の薬酒を配合。
  3. ナリウカ (Nalivka) … ウォッカにさまざまなフルーツを浸漬してつくる。
  4. ヤーゼビアク (Jazebiak) … トリネコの赤い実を浸漬したピンク色のウォッカ。
  5. スタルカ (Starka) … クリミヤ地方の梨やリンゴの葉を浸し、少量のブランデーを加える。
  6. レモナヤ (Limonnaya) … レモンの香りを付けたレモン・ウォッカ
  7. ペルツォフカ (Pertsovka) … 赤い唐辛子とパプリカで風味を付けたペッパー・ウォッカ
  8. オホートニチヤ (Okhotonichya) … ジンジャー、グローブ、ジュニパー・ベリーなどの香りを付け、オレンジとレモンの皮で渋みを付けたリキュール・タイプのウォッカ

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ラム(Ram)とは…

ラムは、さとうきびを原料とする蒸留酒である。普通、さとうきびの絞り汁を煮詰めて、砂糖の結晶を分離したのち、残った糖蜜(モラセズ molasses) を水で薄めてから、発酵、蒸留してつくられる。

しかし、さとうきびの絞り汁をそのまま水で薄めてつくることもある。現在ラムは産地や製法によって、さまざまなタイプがつくられている。

それを色によって分類すれば、ホワイト・ラム、ゴールド・ラム、ダーク・ラム、に三大別することができる。また、風味を基準にするならば、 ライト・ラム、ミディアム・ラム、ヘビー・ラム、に分けることができる。

ラムの歴史

17世紀のはじめ、西インド諸島のバルバドス島に蒸留技術を身につけたイギリス人が移住してきた。 そして、さとうきびを利用して蒸留酒をつくった。

さとうきびは、1492年クリストファー・コロンブスの新大陸発見後、南欧のスペインから持ち込まれたといわれる。 そして、西インド諸島の砂糖工業の発展とともにラムの蒸留も盛んになった。

18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパ諸国でもラムが飲まれるようになり、特にこの時代に大活躍したイギリス海軍では、 水兵への支給品として欠かせない酒だった。現在もラムには「海の男の酒」といったイメージが濃厚にある。

また、奴隷売買にまつわる三角貿易の重要な商品とされたことも、事の善悪は別にしてラムの普及を促す結果になった。

西インド諸島生まれのスピリッツをなぜラムと呼ぶようになったのか。 語源については、いくつかの説があるが、この酒を飲んだ西インド諸島の人々が酔って“興奮”(当時の英語でRumbullion)したことから 名づけられた、という説が広く受け入れられている。このランバリヨンという英語は現在では死語になっているが、 この語頭のRumをとってラムと呼んだ、というものだ。

他には、砂糖を意味するラテン語のサッカラム(Saccharum)からきた、 という説もある。

ラムの種類について

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テキーラ(Tequila)とは…

ジン、ラム、ウォッカと並んで、4大蒸留酒のひとつとして数えられるようになった。

テキーラは、メキシコ原産のサボテンの一種である多肉植物、アガベ・アスコール・テキラーナ(Agave Azu lTequilana)という竜舌蘭の茎の部分を切り取り、株の部分だけを加熱して、甘味のある汁液を取り出し、これを発酵させた後、蒸留して造る。

[アガベは、マゲイ(Maguey)とも呼ばれるヒガンバナ科の常緑多年草で、8〜10年生育した直径70〜80p、 重さ30〜40kgの球茎を利用する。]

テキーラの歴史

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テキーラの種類について

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ビール(Beer)とは…

日本のビールは、酒税法により「麦芽・ホップ・水およびその他のでんぷん質を原料として発酵させたもの。 麦芽の重量の1/2量以上のその他のでんぷん質を用いてはならない」とされている。 漢字で麦酒(ばくしゅ、ビール)と表記される場合もある。

ビールは発酵形態により、上面発酵ビールと下面発酵ビールに分けられる。

上面発酵のビールの特徴は、麦芽濃度が比較的高く、その上、発酵温度も10度から25度と高いので色が濃く、 アルコール度も高い。スタウトやエール等イギリス系のビールはこのタイプに属する。

一方、日本やアメリカ、ドイツなどの比較的軽いビールは下面発酵ビールで5〜10度と発酵温度も低く、 まろやかな味と香りを持っている。

ビールの歴史

世界でもっとも広く飲まれている酒がビールであり、また、もっとも多量に消費されている酒がビールである。 この事に関しては、いまや日本も例外ではなく、消費量bPの酒はビールである。

現在、世界の数多いビール生産国の中で代表的な国を挙げるとするなら、歴史の古さ、種類の多さの面で、 ドイツ・イギリスを上げなければなるまい。今日のビール産業に大きな影響を与えたという面では、デンマークがあげられる。マーケティングの卓越さと生産量の多さの面では、アメリカ・日本があげられよう。

ビールは、穀物を発酵させた酒、というのが一般的な概念である。 その歴史は、約6000年前までさかのぼることができる。 ロンドンの大英博物館には、紀元前4000年頃のものと推定されるメソポタミアでシュメール人にビールがつくられていた事を示す 「モニュメント・ブルー」と呼ばれる板碑がある。また紀元前3000年頃のもとと推定されるエジプトの壁画にも、 ビールづくりのさまが描かれている。

しかし、この時代のビールと今日のビールとは、まったく異質のものだといってよい。 当時は、大麦麦芽と小麦を粉砕して水でこね、いったんパンにしてから水に浸し込み、自然に発酵させていたようである。 くだって、シーザーがガリア(今のフランス)に攻め入ったとき、この地でケルト人がビールづくりを行っていたことが、 タキトゥスの「ガリア戦記」によって明らかになっている。

中世には、ドイツやスイスの修道院醸造所で盛んにビールが醸造され、一般家庭にもビールづくりが広まった。 企業ベースでの醸造所は、14世紀頃からハンザ同盟都市を中心に設立されるようになり、 その数はしだいに全ドイツに広まっていった。

イギリスでは、9世紀にすでにエール(ビール)ハウスがあったと記録されており、12世紀にはビール飲用の習慣が国民の間に広まった。 しかし、この頃のエールには、ホイップはまだ使われていなかった。

ヨーロッパでホップ使用が一般化するのは、ドイツを含めて15〜16世紀以降のことである。 ビール醸造が近代化されたのは、18世紀に入ってからで、まずイギリスの産業革命によって、 ビール生産も画期的に発展する。

19世紀には、パスツールによる発酵現象の解明、リンデによる製氷機、冷凍機の発明、 ハンセンによる酵母純粋培養の開発、その他下面発酵酵母の採用などにより、ビールの大量生産が可能になり、品質も著しく向上した。

日本のビールは、明治時代に入り、西欧化の波の中でスタートした。その後、現在にいたるまで約130社がビール製造に乗り出したが、 目下は、キリン、サッポロ、アサヒ、サントリー、沖縄のオリオンの5社で生産している。

現在、ビールは世界のいろいろな国で生産されているが、2004年の世界のビール総生産量は1億5475万キロリットル、 日本の大瓶(633ml入り)に換算すると2433億本となる。

国別にみた場合、生産量のベストテンは、中国、アメリカ合衆国、ドイツ、ブラジル、ロシア、メキシコ、日本(発泡酒等を含む)、イギリス、スペイン、ポーランドの順。有名な産地ながら人口の少ないオランダは12位、チェコは15位、ベルギーは17位であった。

ドイツでは、16世紀に「ビールは、麦芽、ホップ、水だけを原料にしたもの」というビール純粋令が出され、今でも守られている。 麦芽、ホップ、水は、ビールづくりの基本になる原料だが、現在では風味をマイルドにするため、 スターチや米などを副材料として使った製品が多くなっている。

ビールの種類について

醸造法と酵母の種類によって、上面発酵のエールと下面発酵のラガーに大別される。

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